大切な方達の大切な方へ
まだ直接ご連絡差し上げたことが有りません。
しかし普段のその方の、みこころ満ちたコメントメッセージに目を通す機会がありまして、私にとって大切な方達と親交が深い方ですが、
このたび、大変大きな苦労話を抱えられた事に苦しい思いです。
改めて。
初めて思いを書かせて頂きます、突然の、失礼をお許しください。
そして社会人として教養と経験不足で言葉や手順に問題が有ることをお許しください。
【おけいさんへ】
この度は大変な、思いをなされて…ご冥福をお祈りさせて頂くお許しを賜らせてください、何卒、何卒宜しくお願いします。
大切な方達が愛鳥を亡くされた時、
その方々が気持ちが落ち着くまで、まるで代弁するかのように、悲しみに、皆の悲しみに寄り添ってくださって有難うございます。
私は最近まで月命日という文化を知りませんでした。
大切な方達の愛鳥が旅だった日を、いつも自身の事のように悲しみに寄り添ってくださって…
亡くした事に向き合う事は、私は凄く怖い事でした。
いまは、年月がたってからは手を合わせる時は、
その方が私に『自分の今の報告をすることで、自分自身と向き合う機会をくださった』
と、僅かに進む事ができるように、という逃げ道を作っています。
希望という言葉にパンドラの箱がイメージされました。
希望と愛情は紙一重で、
終わらないもの、変わらないもの。思い出にできないのが愛と言われる場合が多いのですが、
過去のものにならないなら思い出にならないなら、それは愛鳥への愛情と希望なのかも知れませんね、
ずっと胸にいて一緒に生きていけるのなら、思い出ではなく『想いそのもの』なのかも知れませんね。
いつも皆さんに優しくしてくださって有難うございます、遠くから小さく祈らせて頂く事を、お許しください。